日本酒の一杯に宿る、伝統と革新の物語
静かな居酒屋で、盃に注がれた冷えた日本酒の透明な輝き。
その一口を含むと、ふわりと広がる芳醇な香りと優しい甘み。
この日本酒が、いま再び進化を遂げています。
古来から続く酒造りの技術に最先端の科学が加わり、日本酒は新たな時代へと歩みを進めています。
特に注目すべきは「こうじ菌」と「酵母」の進化です。
この微生物たちがいなければ、日本酒特有の味わいや香りは生まれません。
では、この小さな微生物たちは、どのように日本酒の未来を形作っているのでしょうか。
日本酒の味わいを決める「こうじ菌」と「酵母」の秘密
こうじ菌と酵母は、日本酒造りに不可欠な存在です。
こうじ菌は蒸したコメに振りかけて繁殖させ「こうじ」にします。
このこうじの働きによって酵母がアルコール発酵に必要な糖分を得られます。
一方、酵母は糖をアルコールに変えながら「吟醸香」と呼ばれる華やかな香りや酸味を生み出します。
例えば、広島県立総合技術研究所食品工業技術センターでは、大正時代の古い酵母に着目し、その特性を活かした新たな開発を行っています。
この酵母は長期保存時の品質劣化(「老ね香」)が出にくく、さらに現代の日本酒用酵母がその発展過程でほぼ失った、他の酵母との交配が可能という特徴を持っています。
山崎梨沙主任研究員らは、この特性を活かし、バナナのような香りやリンゴのような爽やかな酸味を持つ新たな酵母の開発に成功しました。
研究最前線:進化するこうじ菌と酵母
現在、全国各地の公立研究機関や酒造会社間で、新酵母の開発競争が続いています。
特に輸出を見据えた開発が活発で、広島県の研究チームが開発した新酵母は、長期保存や高温保管にも強い特性を持ちます。
実際に、この酵母を使用した県内酒造会社の日本酒が、2024年にシンガポールで開催された日本酒コンテストで上位の賞を獲得しました。
一方、こうじ菌の分野では、株式会社 Clear(東京都渋谷区)が3つの種こうじ屋と協力し、新たな付加価値を持つ2種類の種こうじを2023年に開発しました。
この取り組みは、日本酒の消費減少に伴う種こうじ屋の経営課題を解決するため、開発費の支払いや仕入れ価格の見直しを含む新しいビジネスモデルも提案しています。
日本酒を世界へ:グローバル市場の挑戦
日本酒の国内消費は減少傾向にありますが、和食への関心の高まりから輸出は伸びています。
さらに2023年には「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、世界での認知度向上が期待されています。
特に高級酒市場では、新たな試みが進んでいます。
Clear の看板商品「百光」(720ミリリットル、3万8500円)は、新開発の種こうじを使用し、ユリの花のような香りと透明感のある口当たり、美しく伸びていく余韻を特徴としています。
同社の生駒龍史 CEO は「高級酒から日常酒までそろい、その魅力を発信できるよう注目に値する状況をつくっておくことが大事」と指摘し、日本酒産業の文化と経済両輪での持続可能性を追求しています。
一杯の中に込められた情熱
こうじ菌や酵母の進化は、技術革新だけでなく、それを支える人々の情熱によって実現しています。
国内消費の減少という課題に直面しながらも、研究者たちは新しい可能性を追求し、酒造りに関わる企業は革新的なビジネスモデルを構築しています。
その結果、世界に通用する高品質な日本酒が次々と生まれているのです。
私たちが何気なく口にする一杯の日本酒。
その中には、科学と伝統、そして作り手たちの熱い思いが詰まっています。
次に日本酒を手にするとき、その味わいや香りに込められた物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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