今夜の晩ご飯が、明日の世界一になる可能性
あなたが今夜食べるコシヒカリのご飯。
そのふっくらとした一粒一粒が、実は世界一の日本酒になる可能性を秘めているとしたら—?
「まさか、そんなことあるわけない」
そう思われるかもしれません。
でも、これは実際に起こった、現代の奇跡の物語なのです。
2025 年6月、美食の都パリで開催された権威ある日本酒コンクール「Kura Master」。
ここで、あの高級酒米ではなく、私たちが毎日食べているコシヒカリやササニシキから造られた日本酒が、堂々の第1位に輝いたのです。
「脇役」が「主役」になった瞬間
日本酒の世界の常識を覆す挑戦
日本酒の世界には、長い間「当たり前」とされてきた常識があります。
それは、美味しい日本酒は「酒米」と呼ばれる特別なお米からしか造れない、というもの。
酒米は、まるでオーケストラの主役バイオリニストのような存在。
お米の中心部に「心白(しんぱく)」という白い部分があり、これがスポンジのように麹菌を受け入れ、美しい音色—いえ、美味しい日本酒を奏でてくれるのです。
一方、私たちが毎日食べるコシヒカリやササニシキは、いわば「脇役」の扱い。
栄養豊富で美味しいけれど、日本酒造りには「向いていない」とされてきました。
タンパク質や脂質が多く、酒造りには邪魔になると考えられていたからです。
神奈川の小さな酒蔵の大きな夢
そんな常識に真正面から挑戦したのが、神奈川県伊勢原市にある吉川醸造。
大正元年(1912 年)創業の、113 年の歴史を持つ老舗酒蔵です。
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
コロナ禍で事業継続の危機に直面し、2020 年にシマダグループの一員として新たなスタートを切ることになったのです。
「ピンチをチャンスに変えよう」
そんな想いから生まれたのが、今回の革新的な挑戦でした。
「不可能」を「可能」に変える魔法
食米との格闘記
コシヒカリやササニシキを使った日本酒造り—それは、まるで野球でいえば「代打でホームランを狙う」ようなもの。
粒の大きさも成分もバラバラの「ミックス米」を相手に、蔵人たちは日々格闘を続けました。
「硬く溶けにくい米に、年々上昇する外気温。気候変動による厳しい環境は、現代の酒造りにおける新たな試練です」
蔵人たちのコメントからは、その苦労の深さが伝わってきます。
伝統と革新の絶妙な融合
そこで吉川醸造が取った戦略は、伝統と革新の融合でした。
- 伝統の力:室町時代から続く「生酛(きもと)」という手法
- 革新の技術:低温長期発酵と、稲から分離・育種した新世代の麹菌
まるで、古い城の土台に最新の技術を組み合わせて、新しい美しい建物を建てるような作業でした。
特に印象的なのは、お米をほとんど削らない「精米歩合 90%」という手法。
通常、高級日本酒ほどお米を削って雑味を取り除きますが、吉川醸造は逆転の発想で「お米本来の味わい」を追求したのです。
パリの舞台で起こった奇跡
世界最高峰の舞台、Kura Master
そして運命の日がやってきました。2025 年の Kura Master—フランスで開催される、世界で最も権威ある日本酒コンクールの一つです。
このコンクールの特徴は、審査員がすべてフランス人のトップソムリエであること。
リッツ・パリ、マンダリンホテル、ミシュラン3つ星レストランで活躍する、文字通り世界最高峰のプロフェッショナルたちです。
審査委員長のグザビエ・チュイザ氏をはじめ、総勢 135 名による完全ブラインドテイスティング。
銘柄も蔵名も一切分からない状態で、純粋に「味」だけで勝負が決まります。
奇跡の瞬間
1,083 銘柄がひしめく激戦の中、食米から造られた「菊勇 辛口純米酒」が、純米酒(66-100%)部門で堂々の第1位(審査員賞)を獲得したのです。
フランスのソムリエたちが評価したのは:
- 華やかで親しみやすい香り
- ふくよかで優しい味わい
- 食事と絶妙に調和するバランス
まさに「食べるお米」だからこそ表現できる、食事との相性の良さが高く評価されたのです。
革命の意味を読み解く
価格破壊の衝撃
この奇跡には、もう一つ驚くべき事実があります。
世界一に輝いた「菊勇 辛口純米酒」の価格は、720ml で税込 1,710 円。
通常、国際コンクールで上位入賞する日本酒は数千円から数万円するものがほとんど。
それが、家庭で気軽に楽しめる価格帯で世界一を獲得したのです。
これは「高級=美味しい」という既成概念を根底から覆す出来事でした。
持続可能な日本酒造りへの扉
さらに重要なのは、この成功が示す持続可能性への道筋です。
酒米は生産量が限られており、価格も高騰しがち。
一方、食米は安定供給が可能で、価格も手頃。
この技術が確立されれば、日本酒業界全体にとって大きな福音となるでしょう。
蔵人のコメントにあった「備蓄米の活用についても、未知の米に挑戦できる絶好の機会」という言葉からは、食料問題への貢献への期待も感じられます。
もう一つの奇跡「雨降」シリーズ
時を超えた伝統の復活
今回の Kura Master では、吉川醸造のもう一つのブランド「雨降(あふり)」シリーズも、2銘柄がプラチナ賞を受賞しました。
特に興味深いのが「雨降 MIZUMOTO」。
これは室町時代に発明され、日本酒のルーツとも言われる「水酛(みずもと)」という製法で造られています。
蔵人の表現によれば、様々な微生物たちが代わる代わるリードしながら見せ場を作る様は、さながら「即興演奏」の趣。
まるで、微生物たちによるジャズセッションのような日本酒なのです。
伝統への敬意と革新への情熱
「雨降 KIMOTO」は、伝統の生酛仕込みで醸し出される「淡く澄んだ酸味と、奥深い透明感」が特徴。
どんな食事にも寄り添う、まさに「食中酒」の理想形です。
これらの銘柄からは、吉川醸造の哲学が見えてきます。
それは、伝統への深い敬意と革新への飽くなき情熱の両立です。
今夜のご飯から始まる物語
あなたの食卓に眠る可能性
この物語が教えてくれるのは「当たり前」や「常識」を疑う大切さです。
毎日何気なく食べているコシヒカリのご飯。
そこには、まだ私たちが気づいていない無限の可能性が眠っているのかもしれません。
未来への招待状
吉川醸造の挑戦は、日本酒業界だけでなく、私たちすべてに大切なメッセージを送っています。
「既成概念にとらわれることなく、新たな可能性を拓く挑戦を続ける」
それは、変化の激しい現代を生きる私たちにとって、最も必要な姿勢なのかもしれません。
乾杯、新しい未来に
今度日本酒を手にするとき、ぜひ思い出してください。
その一滴に込められているのは、単なるアルコールではなく、挑戦者たちの情熱と、未来への希望なのだということを。
そして、あなたの今夜の晩ご飯が、明日の世界一になる可能性を秘めているということを。
食卓から始まる革命は、まだ始まったばかりなのです。
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