─酒蔵と地域の未来を変えるインパクト
「まさか、うちの酒が”世界一”になるなんて――」
ワインの品評会として世界的な影響力を持つ「International Wine Challenge(インターナショナル・ワイン・チャレンジ/以下「IWC」)」。
2007 年に SAKE 部門が設立されてから、海外における重要な日本酒の評価基準として、全国の酒蔵がエントリーしています。
審査会と授賞式はイギリスのロンドンで行われ「普通酒」「純米酒」「純米吟醸酒」「純米大吟醸酒」「本醸造酒」「吟醸酒」「大吟醸酒」「スパークリング」「古酒」「熟成酒」の10カテゴリーでそれぞれ優秀な日本酒を選出。
各カテゴリーの最も優れた出品酒には「トロフィー」の栄誉が与えられます。
さらに、各カテゴリーのトロフィーを受賞した出品酒から1点に与えられるのが、SAKE 部門の最高賞である「チャンピオン・サケ」の称号です。
「世界一の酒蔵がある村として」─長野県・湯川酒造店
長野県木祖村にある湯川酒造店は、2023 年に「十六代九郎右衛門 純米吟醸 美山錦」がチャンピオン・サケを獲得しました。
代表取締役の湯川尚子さんは「チャンピオン・サケを受賞してから、蔵全体が前向きになった」と話します。
「ちょうどコロナ明けの受賞で、落ち込んでいた売上が急速に回復したのは大きかったです。受賞してからたくさんのオファーをいただきましたが、新規の取引先はほとんど増やさず、既存のお客様にしっかりと商品を届けるという方針を取りました」
受賞した『十六代九郎右衛門』だけでなく、地元の方々に愛されてきた『木曽路』も売上が伸び、取引先から「湯川さんの商品を扱っていてよかった」と喜んでもらえたのは、大きな励みになったといいます。
審査員のフィードバックが変えた表現方法
チャンピオン・サケを受賞してから、審査員のフィードバックをもとに、香りや味わいの表現方法が大きく変わったそうです。
「たとえば、受賞した『十六代九郎右衛門 純米吟醸 美山錦』は、『スパイシー』や『コンプレックス(複雑)』という表現で高く評価されたんです。従来の日本酒業界ではネガティブに捉えられてしまう表現でも、飲み手によっては魅力として伝わることに気付いて、臆することなく表現できるようになりました」
地域活性化の起点として
受賞からしばらく経ち、売上の伸びが落ち着いてからもポジティブな気持ちは継続。
「酒蔵は地域のインフラになれる」という考えのもと、地元・薮原を活性化する起点として酒蔵を活用してもらうために、建物の玄関スペースのリノベーションに踏み切りました。
薮原は江戸時代の面影を色濃く残す中山道の宿場町で、登山やスキー、レジャーなどで多くの観光客が立ち寄ります。
酒蔵にショップやバー、応接スペースを併設したことで、ハイキングの後に酒蔵で食事をしながら日本酒をテイスティングし、そのまま薮原に滞在するという選択肢が増えました。
「最近、地元の高校生がインターン先として弊社を選んでくれたんですが『なぜうちを選んだの?』と聞いたら『世界一の酒蔵が自分の村にあるなんて、誇りでしかない』と言ってくれて。まだお酒を飲めない世代がそう思ってくれるのは、私たちにとって最大の価値ですよね」
「受賞が地域の農業を変えた」─栃木県・井上清吉商店
2010 年の「澤姫 大吟醸 真・地酒宣言」、2022 年の「澤姫 吟醸酒 真・地酒宣言」で、2度にわたってチャンピオン・サケを受賞した栃木県の井上清吉商店。
2004 醸造年度から全量栃木県産米で酒造りをしている同社は、国内の歴史的な品評会である全国新酒鑑評会とは異なる可能性を感じて、IWC に出品するようになったといいます。
代表取締役の井上裕史さんは当時を振り返ります。
「当時の日本酒業界は『兵庫県産の山田錦じゃないと、品評会では受賞できない』という風潮があり、私たちが栃木県産のお米で最高のお酒を造ろうとしても『もの珍しさで売ろうとしているんじゃないか』と色物扱いをされてしまう時代でした」
農家の意識を変えた受賞
地元の方々が受賞を喜んでくれましたが、そのなかでも大きかったのは、お米を育てる農家の意識が変わったことだといいます。
「『自分たちのお米で造った日本酒が世界一になったんだ』という自信を、農家のみなさんが持ってくれるようになりました。栃木では当時、良い酒米は県外から買うもので、地元産米は中堅クラスというイメージが強く、せっかく良いお米を育てても評価される場がありませんでした」
そのころの栃木県内の酒米自給率は 30~40% 程度でしたが、受賞した『澤姫 大吟醸 真・地酒宣言』で使った栃木県産の『ひとごこち』は、今では県内ほとんどの酒蔵が使用するようになりました。
そして、他の品種も含め、県産米で国内外のコンテストに挑戦するという新たな流れが生まれています。
また、受賞を機に県も動き出して『夢ささら』という栃木県オリジナルの酒造好適米の開発にもつながりました。
復興への思いと海外展開
2011 年3月に起きた東日本大震災により、状況は急変します。
栃木県は原発事故のあった福島県の隣県であるため、海外の取引先から「栃木のお米を使い続けるのか」と問い詰められることも少なくありませんでした。
「もちろん、即答で『栃木産米を使い続けます』と答えましたが、放射能の不安にどう対応すべきか、前例はありません。だから、地元の原料を使い続ける代わりに、完成した商品は必ず検査し、安全だと確認されたものを自信を持って出荷するという方針を決めました。そうすることが、我々なりの復興支援だと思ったからです」
3.11 の風評被害を乗り越え、輸出体制を整えるまでには地道な努力が必要でしたが、2014 年頃から徐々に状況が改善。
現在では出荷量の 3~4 割を海外輸出が占めるほどになっています。
地域に還元されるチャンピオン・サケの影響力
海外のコンテストでの受賞による効果と聞くと、海外市場での販路拡大や売上増加を想像しますが、チャンピオン・サケの場合はそれだけにとどまらず、酒蔵のある地域にも大きな影響があることが分かります。
それは一時的なものではなく、湯川酒造店のように地域おこしへつながったり、井上清吉商店のように地域農業の変化のきっかけを作ったりと、地域の在り方を変えてしまうほどの長期的なインパクトとなります。
2010 年に 405 点だった IWC の出品数は、2022 年は過去最高の 1,732 点まで増加。
全国各地の個性豊かな日本酒から選ばれた世界一の称号である IWC の最高賞「チャンピオン・サケ」は、単なる”お酒の賞レース”ではありません。
それは、酒蔵の歴史を塗り替え、地域の未来を切り開き、日本酒が世界の言葉になる瞬間なのです。
「世界一の日本酒は、蔵元の夢だけでなく、地域の未来も育てる」
次に日本酒を手にするとき、そのラベルの裏にある「蔵元と地域の物語」を思い浮かべてみてください。
一杯のグラスに込められた努力と夢が、きっと今まで以上に味わい深く感じられるはずです。
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