フランス人青年が涙した一杯の酒
「このお酒を飲んだとき、なぜだか涙が出たんです」
そう語ったのは、パリ在住の若いフランス人青年。
彼は、東京の小さな酒蔵で振る舞われた一杯の日本酒を口にした瞬間、そのまま言葉を失ったといいます。
米と水だけでこんなに繊細な味が生まれるのか、と。
いま”SAKE”は、ワインのように世界で愛される存在になりつつあります。
ニューヨークやロンドンでは SAKE バーが増え、ソムリエが真剣に「ペアリング」を考える時代です。
でもその一方で――日本国内では、その SAKE を”新しく作ること”すら、ほぼ許されていないのです。
「70年、1件も出ていない」製造免許という壁
日本では、清酒(いわゆる日本酒)を新たに造るための製造免許が、実質的に70年間も発行されていません。
これは信じがたい事実ですが、酒税法の運用上、既存の需要を超えた供給が禁止されており、新規参入はきわめて難しい状況が続いています。
具体的には、1953 年制定の酒税法が「需給の均衡維持」を目的に免許を与えないことができると明記しており、酒蔵の移転や企業合併、新工場などに伴う新規免許を除くと、1950 年代半ば以降、新たに参入する事業者への免許発行はないのです。
どんなに熱意があっても、技術があっても、たとえ日本酒の未来を背負うような若者でも「新しい蔵を建てて酒を造る」ことができないのです。
まるで「夢を抱く者ほど報われない迷宮」に、私たちは迷い込んでしまったかのようです。
世界が求めているのに、日本だけが立ち止まっている
2023 年、日本酒の輸出額は 411 億円と過去最高を記録し、5年前に比べて倍近くまで伸びました。
特に欧米やアジア圏では、和食文化の広がりとともに SAKE への関心が急上昇しています。
おしゃれな瓶に入った純米吟醸酒が、現地の人々の「とっておきのおもてなし酒」として親しまれる時代です。
一方、国内の酒蔵は減り続けています。
清酒製造の免許数は 2023 年度に 1525 件と、ピークの 1956 年度から6割減少しました。
出荷量も23年度には38万キロリットルと、ピークだった73年度の 176 万キロリットルより8割も減少しています。
理由は、後継者不足、設備の老朽化、そして――新しく参入できない制度的な壁。
これは、日本酒文化が世界で”開花”しようとする一方で、母なる大地では”根枯れ”が進んでいるという、いびつな構図に他なりません。
小さな希望はある。でも、それだけで足りるのか?
最近では、国家戦略特区の提案や「地域資源を活かした醸造酒」の制度など、少しずつ風穴が開き始めています。
2021 年の規制緩和では輸出限定の製造免許が取得可能になり、7社が参入しました。
また、現状では国内で免許を得る方法として、M&A(合併・買収)や事業承継で既存免許を手に入れる方法があります。
もう一つは「ファントムブルワリー」として既存酒蔵に醸造を委託する方法も「抜け道」として存在します。
しかし、これらはあくまで”例外的な特例”。
本格的な清酒を、きちんとした設備で、自由に造るための道は、いまだ閉ざされたままです。
日本酒とは「時間を飲む文化」である
日本酒とは、単なるアルコールではありません。
米作りの一年、杜氏の技、木桶の香り、発酵の温度――すべての「時間」と「土地」が詰まった、液体の詩です。
それを未来につなぐには、制度ではなく「人」が必要です。
そしてその人を迎え入れるには、70年止まった免許制度という時計を、今こそ動かす必要があります。
終わりに:未来に向かって、蔵を開けよう
「新しい日本酒をつくりたい」という夢は、特別なことではありません。
それは、誰かのふるさとを大切に思う心であり、自分たちの手で文化を守り育てたいという、まっすぐな願いです。
世界がこれほど日本酒に魅了されている今。
本家・日本が、その未来の扉を閉ざしたままでいいはずがありません。
ビール業界では 1994 年の酒税法改正で新規参入のハードルが下がり、クラフトビールの新しい文化が生まれました。
日本酒にもそのような新陳代謝が必要です。
「新しい酒を造れる国」こそが、文化を未来へ渡せる国。
そう信じて、私たちもまた、声をあげていきましょう。
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