「この酒、うちの親父が毎晩のように飲んでたんだよね」
そう語る年配の男性の目が、どこか寂しげだった。
ある日ふと、思い出の酒を探しても、もう売られていない──。
「当たり前」のようにそばにあった地酒が、静かにこの世から消えていく。
そんな現実が、日本の各地で今、静かに進んでいます。
でも、その灯を、誰かが守ろうとしている。
その誰かとは、伝統ある蔵元でも、地元の名士でもありませんでした。
“新しい日本酒文化”を掲げる、ひとつのベンチャー企業だったのです。
「後藤酒造店」──230年以上の歴史を持つ老舗酒蔵
山形県東置賜郡高畠町にある「後藤酒造店」は、天明8年(1788年)創業の老舗酒蔵。長きにわたり、地域の人々の食卓や祝いの席を彩ってきました。
国内外のコンクールで数々の賞を受賞する高い技術力と伝統のもと、高品質な日本酒を造り続けています。
しかし、国内市場の縮小や原料となる酒米の価格高騰など、酒造業界全体が抱える構造的課題に直面していました。
清酒製造の技術と伝統を未来へつなぐために、新たな体制での事業強化が求められていたのです。
そこで選ばれたパートナーが、KURAND(クランド)でした。
KURANDの決断──伝統を未来へつなぐ事業継承
KURANDは、全国200を超える酒蔵・メーカーと提携し、個性豊かなクラフト酒をプロデュース・販売してきた会社。
“蔵と消費者をつなぐ橋渡し”として、オンラインの力を駆使してきました。
そんなKURANDが、グループ会社である株式会社王屋を通じて、後藤酒造店の全株式を取得。
これが、後藤酒造店の事業継承です。
でも、これは単なる「拡大戦略」ではありません。
それはむしろ、長年培ってきた伝統と技術を未来へつなぎ、地域に根ざした酒造文化を継承していくための決断だったのです。
「好きだった酒が、ある日、もう飲めなくなる。そんな寂しさを、これ以上生みたくなかった」
そう話すのは、KURAND代表・荻原恭朗さん。
KURANDは、ひとつの文化と、そこに息づく人々の想いを背負う決意をしました。
なお、後藤大輔氏は引き続き代表取締役として会社経営に参画。
これまで築いてきた技術・ブランド・地域とのつながりを大切にしながら、さらなる成長を目指します。
「つくる」から「まもる」へ。KURANDが描く酒蔵の未来
今後、KURANDは新商品開発、DX推進、デジタルマーケティングの強化、設備投資を進めていきます。
ただ、変えることだけが目的ではありません。
「変わらないために、変える」──これが、KURANDのスタンスです。
たとえるなら、古い街並みの景観を残しながら、中にカフェや書店をつくるリノベーションのようなもの。
伝統を大切にしながら、今の時代にも愛される形を模索する。
そんな”温故知新”の挑戦が、酒蔵の中で静かに始まろうとしています。
地方と、酒と、人をつなぐプロジェクトへ
KURANDが目指すのは、単なる事業の強化だけではありません。
山形県の地酒メーカーとして、地域に根ざした酒造りと持続可能な産業モデルの構築にも取り組みます。
後藤酒造店が”地域のにぎわいの場”として、さらに発展していくことが、次の目標です。
お酒とは、本来「人と人をつなぐもの」。
そう考えるKURANDは、酒蔵を”地域と未来をつなぐハブ”にしようとしています。
「10年後も、あの酒が飲める幸せ」を守るために
大好きだった酒が、次の世代にも届いてほしい。
職人の手仕事が、未来にも残っていてほしい。
それは、誰かの「懐かしさ」だけではなく、社会全体の豊かさを守ることでもあるのです。
「この酒、息子にも飲ませたいんだよ」
ある父親の何気ない一言が、KURANDの原動力になったといいます。
後藤酒造店の事業継承は、全国に散らばる「継がれなかった物語」への、小さな反逆でもあります。
そして、伝統ある酒造文化が、もう一度力強く歩み出すための、大きな希望の一歩です。
さいごに──ラベルの向こうにある”想い”を味わう
次にお酒を選ぶとき、もし少しだけ時間があるなら──そのラベルに書かれた名前や地名に、ほんの少しだけ想いを馳せてみてください。
もしかしたら、その1本の裏には、誰かが受け継いだ情熱や、守りたかった未来が詰まっているかもしれません。
「酒を継ぐ」という選択が、日本の文化を未来につなげていく。
私たちがその1杯を楽しむことが、小さな応援になる──そんな世界が、少しずつ広がっています。
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