突然、家族が”別人”のようになってしまったら
ある日、集中治療室(ICU)に入院していたおばあちゃんが、誰もいない空間に向かって話しかけたり、意味不明な言葉を口走ったりし始めました。
つい先日までは、家族と笑顔で会話していたのに……。
その姿はまるで別人のようで、家族は驚きと不安に包まれました。
これは「せん妄(Delirium)」と呼ばれる状態で、集中治療中の高齢者によく見られる急性の意識障害のひとつです。
本人はもちろん、周囲の人々にとっても心を揺さぶられる出来事となります。
特に呼吸器疾患である慢性閉塞性肺疾患(COPD)を持つ高齢患者では、その発症リスクが非常に高く、無視できない問題として医療現場に突きつけられています。
「せん妄」はなぜ怖いのか? 見過ごせないリスク
せん妄は一過性の症状だと思われがちですが、その影響は長く深く残ることがあります。
発症すると、入院期間は延び、退院後の回復にも時間がかかり、再入院や死亡率も上昇することが知られています。
さらに、認知機能が低下することで、患者の生活の質が大きく損なわれてしまうのです。
こうした深刻な結果を防ぐには、何よりも「早期の気づきと介入」が鍵になります。
しかし、実際の現場では、せん妄は見逃されがち。
兆候が曖昧で、発症の予測が難しいという課題があるのです。
「せん妄を予測する」夢を実現したAI技術
こうした難題に挑んだのが、中国の医療研究チームでした。
彼らは「AI(人工知能)」を活用して、ICU に入院した高齢の COPD 患者がせん妄を発症するリスクを事前に予測するモデルを開発しました。
この研究では、アメリカの大規模医療データベース「MIMIC-IV」から 2008~2019 年のデータを使い、合計 1,155人の ICU 入院患者を対象に分析。研究対象となった患者のせん妄発症率は 12.9%(149/1,155人)でした。
使用されたAI技術は「XGBoost(エックスジーブースト)」という高性能な機械学習アルゴリズムで、さまざまな要素からせん妄の発症を高精度に予測できるよう設計されています。
予測のカギは「いつものデータ」
驚くべきは、AIが使用した情報が、特別な検査結果ではないという点です。
患者が ICU に入った最初の1日で取得される、GCS 言語スコア、血中酸素濃度(SpO₂)、平均拡張期血圧、MDRD(腎臓病における食事療法修正)の方程式スコア、GCS 運動スコア、性別、非侵襲的換気の継続時間など、どの病院でも日常的に取得されている”ありふれたデータ”でした。
にもかかわらず、このモデルの予測精度は非常に高く、AUC という指標で 0.932 を記録。
これは、従来の手法ではなかなか実現できなかったレベルで、AIによって「ほぼ確実に」せん妄のリスクを見抜ける段階にまで進化したことを意味しています。
「なぜその予測?」が分かる安心感──SHAP の導入
AIは精度が高くても”なぜその判断をしたのか”が分からなければ、医療現場では使いづらいものです。
これを「ブラックボックス問題」と呼びます。
研究チームは、この問題を解決するために「SHAP(シャップ)値」という解釈可能なAI技術を採用しました。
これにより、どの項目が患者のリスクにどの程度影響しているのかが明確に可視化され、医師や看護師も納得のいく形でAIの判断を受け入れることができます。
たとえば、GCS の「言語応答スコア」や「入院期間」が高リスクの指標であることが明確に示され、現場での予防策の立案にもつながります。
人に寄り添うAIが拓く、現場の”新しい選択肢”
このAIモデルの最大の魅力は「すぐにでも使える」という実用性です。特別な機器や費用は必要なく、日常的な臨床データだけで動作します。
つまり、現場の忙しい医師や看護師たちが、無理なく取り入れられる”ツール”になっているのです。
さらに、患者一人ひとりのデータに応じた「個別リスク評価」も可能で、誰に、いつ、どんなケアを重点的に行うべきかという判断も、より的確になります。
これは、単なる診断支援を超え「予防」にまで踏み込んだ新たな医療のかたちを提示しているのです。
「魔法」ではない。でも確かに「希望」になれる
AIは完璧ではありませんし、未来を予知する魔法ではありません。
それでも、医療者の目や勘だけでは見逃されがちなリスクに気づかせてくれる存在であり、現場で闘う医師や看護師にとって、頼もしい”相棒”になる可能性を秘めています。
この研究が示しているのは、AIが人の命を大切に思う気持ちに寄り添いながら働く時、医療はもっと温かく、もっと強くなれるということです。
高齢化が進み、複雑な医療ニーズが増えるこれからの時代。
患者一人ひとりの”未来”を守るために、AIは確かに希望の光になりつつあるのです。
コメント