クラブ結成20年!


~20周年記念広報誌より(2005/9/3)~
今年の春、田無に試合遠征した時、金髪のハデなお兄さんが突然「中川コーチ!」。全く記憶から消えている。名乗られて1期生のM君とわかってびっくり。なんと子供がいて幼稚園に行っているという。なるべく早く鷺宮に引っ越してクラブに入れたいと言う。
そう、20年とはそういう年月なのだ。
20年前、M君・私の長男も含め1986年6月にスタート。その前に1年間くらい近所の広場で毎朝10名位の子供達とサッカーごっこをやっていた。鷺宮小も協力して、毎週日曜朝8時から9時30分の練習が出来ることとなった。チーム名も当時の校長先生から「鷺宮ちびっこサッカークラブ」と名づけてもらった。そしてクラブ員も増え、秋にはWSCと初試合で2-1で勝ったのだ。
春には秋川に合宿。電車で行った。
というのがクラブの始まり。当時マネージャー(記録や練習の準備)は私の長女小学3年生がやってくれた。(6年生、卒業まで)
-そして20年。合計で400人を超える選手が育っていった。今、卒業生は早稲田大、国学院久我山高校、FC東京ジュニアユースなどでたくさんの選手が活躍している。
私の見た試合は実に3000試合を超える! 都大会ブロック予選、中野区大会そしてつくば、鹿島、波崎、片品、御殿場、山中湖、苗場など合宿遠征の楽しい思い出がいっぱい。また、東京リーグ加盟後は韓国遠征監督として6回遠征。イタリア、オランダのサッカー研修にも参加。
そして60歳を超えてしまった。(もっとも体力的には40歳代とか)
いつも感激はクラブの選手達の頑張り。全力で打ち込む姿。こちらも負けてはいられない。クラブの上昇に研鑽は大変だ。幸いにもクラブ代表の活動に理解ある会社に転職成功。クラブの合宿は「出張」と呼んでくれている。ありがたい。
鷺宮サッカークラブは「たくさん試合をする」ことが基本。練習-試合のサイクルの中で、選手はもちろんコーチも伸びる。このへんが「強さ」の「秘密」なのだ。
クラブは今また大きな輝きをもって伸びてきた。コーチの苦労は大変。「コーチをもっと大事にしてほしい」。年をとると愚痴がでてしまう。申し訳ありません。
クラブの保護者の頑張りは相当なもの。そして選手、コーチ、保護者のまとまった力がクラブの基本。新しい飛躍にむけて頑張りましょう。
 

鷺宮サッカークラブ代表 中川雅造

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